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第5話 王太子は推しを切ったのか?

last update publish date: 2026-02-05 19:00:00

【ユリアナ視点】

「……殿下」

 |あの時《婚約破棄の日》、殿下が出ていって、扉が閉まった。

 静かだったけれども、今までよりも冷たかった。

 足音は遠ざかっていく。

 わたくしは追いかけることもせずに、応接室で立ったまま。

 遠ざかっていくと、応接室には静寂が訪れる。

 聞こえるとすれば廊下を歩く侍女の足音くらいだろう。

「本当なのね」

 机の上に置かれた婚約破棄の書類を見てみる。

 はっきりと、レオポルド殿下とわたくし”ユリアナ・フォン・ルイッツホーフ”が婚約を解消する旨を書かれている。

 殿下の署名もあるし、王家の印もあってこれが正式書類だって分かる。

 偽造《ぎぞう》なんてありえないくらいに。

「本当に、終わったのね」

 わたくしは殿下との婚約を破棄された。

 その事実は、時間が経つにつれてはっきりとわたくしにのしかかる。

 殿下の、『君のため』という言葉が、胸に刺さる。わたくしのため? それなら、なぜ理由を言わないの? わたくしは……ただ、選ばれたかっただけなのに。

 わたくしは無意識に指先で、書類の端を軽く折った。

「どうしてなの?」

 何が原因だったのかしら。

 思い出そうとしても、心当たりがない。

 いつから殿下は、わたくしとの婚約を破棄しようとしたのか。

 そのきっかけって何だったの。

 わたくしはその際に、何をしてしまったのか。

 思考を巡らせながらその心当たりを探っていく。

 でも、見当たらない。

 何がいけなかったのだろうか。

 気づかないうちにわたくしは殿下へ、粗相をしていたのか。

 わたくしすらも知らない癖的な言動が、殿下を失望させてしまったのか。

 もしかしたら、その時にわたくしが謝って態度を変えれば、婚約破棄にならなかったのだろうか。

 考えれば考えるほど、問いだけが増えていく。

 けれど、答えに繋がるものは一つも見つからなかった。

「分かりませんわ」

 思い出してみるけれども、失言はしていないはず。

 言動には気をつけていたはず。癖で出ていたであろうものも含めて。

 婚約者として、殿下を支えていたはず。職務的なのも積極的に行っていた。

 なのに、どうして。

 ”王太子なのに”とか、”王太子失格ですわ”といった事を言って、殿下を否定した覚えがない。

「……何も思い当たらない」

 だから、さっき殿下が言っていた事を思い出す。

 『君のためだ』、『受け止めきれなかった』。

 抽象的な事だけをわたくしに伝えた。

 はっきりといつわたくしが何をしたのか、それは言ってすらいなかった。

 役に立っていなかった事はなかった。

 それは殿下も言っていた。

「わたくしのために、殿下は婚約を破棄したの?」

 どんな利益があるのかしら。

 婚約破棄する事で、わたくしにどんな利益が。

 分からない。

 息が少し浅くなって、呼吸する回数が増える。

 わたくしは殿下を愛していた。

 他の王族や令息と結ばれることなんて考えていなかった。

 結ばれたとしても、完全に好きになることなんて考えられない。

 だから、わたくしは”正しい王妃”になるために、努力をしていたんだけれども。

「無駄だったのかしら」

 『受け止めきれなかった』って言われた。

 わたくしは、間違っていたの?

 方向性を誤ったのかしら。

 でも、間違っていないはず。

 努力を怠った婚約者は、破棄されるのは当然だから。

 そうならないようにしてきた。

 なのに殿下は受け止めきれなかった。

 何を受け止めきれなかったのかしら。

 それこそが、”理由”のはず。

 でも殿下はそれを言わなかった。

 『君のためだ』、『受け止めきれなかった』、それしか言わなかった。

 わたくしはそれを心の中で何回も繰り返す。

 気がついたら、乾いた小さな笑いが出てくる。

「”理由”になっていないわね」

 言って欲しかった。

 それなら納得出来たのに。

 でも、もう無理ね。

「……っ!」

 下を向きながら、軽く笑みをすると、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 辛い気持ちがやっとやってきた。

 さっきは現実がのしかかってきただけ。

 今は心の中でも婚約破棄が襲いかかってきている。

 あっという間にわたくしは負けてしまった。

 殿下、どうしてわたくしから離れたの。

 わたくし、変えてほしい部分があったら、変わりますから。

 望む婚約者や、王妃になります。

 殿下のことを愛していますから。

 だからお願い……。

 でも、わたくしは虚しく心の中で伝えるだけ。

 届くことはない。

「おほほ……」

 軽く笑って心を落ち着かせる。

 でも、わたくしに落ち度があったのよね。

 だから殿下はわたくしから離れた。

 わたくしが悪いのよね。

 殿下は何も悪くない。

 そう、殿下の中ではっきりとした理由があって、婚約破棄をした。

 だから。

 ああ、そう思えてくるなんて。

 そう思おうとしている自分に、気づきながら。

「わたくしは、まだ理解しようとしている」

 だから教えてほしい。

 言って貰えたら、納得するから。

 殿下の口から直接。

 そうじゃないとわたくしは。

「理由を知らないままでは、何も受け取れないわ」

 後に知ることになる殿下の前世の話。本当なら、わたくしをそんなに想っていたのに、どうして捨てたの?

 信じたくない。

 でも、心のどこかで信じたい自分がいた。

「本当、あれで解消なんだな」

 婚約破棄をして、時間が経った。

 夜になり、部屋に戻っても、気持ちは晴れない。

 ユリアナ嬢の姿が頭の中に残っている。

 終わったはずなのに、どうしてこんなに。

 むしろ失ったものが大きすぎる気がする。

 してはいけないことをしたかのような。

 ああ、そうかもしれない。

 ずっと一緒にいてくれて、何度も何度も俺的に推していた彼女との婚約を解消した、のは……?

 何かおかしい。

 推していた?

 そんな言葉、俺は使わないはずだ。

 誰の記憶だ、これは。

 ーー気持ち悪い。

 言葉が変だ。

 どういうことだ。

「あれ?」

 頭の中でノイズが起こる。

 そして頭痛。

「痛い」

 これまでとは違った痛み。

 それと共に、今まで体験したことのない記憶が思い出されていく。

 洪水のように未経験のはずである記憶が押し寄せてくる。

 高校生としてごく普通の日常を。

 教室で授業を受け、友人と笑い、スマホでゲームを起動する。

 画面の中には、ヒロインのクレア嬢と悪役令嬢のユリアナ。そして、レオポルド。

 俺は、ユリアナのイラストを何枚を描いていた。

 ーーそして、唐突に終わる。

 どういうことだ。

 今までの人生とは違っている。

「俺は、転生……したのか?」

 それしかあり得ない。

 鏡を見てみる。

 そこには、ゲームで攻略対象であった王太子レオポルド。

 俺はレオポルドに転生したということか。 

「信じられない」

 だがはっきりと、前世は終わっている。

 これまでの王太子としての記憶もあるが、前世の記憶までも思い出されたので混線している。

 とはいえ混乱することはなく、徐々に落ち着いていく。

「まさかこのタイミングで思い出されるなんて」

 ユリアナが好きだった。悪役令嬢であるが。

 王太子としてもそうだったが、かつての俺としてもユリアナが推しだった。

 イラストも描くくらいだから。

 ただ好きだったんじゃない。

 あの時、手に取れなかった自分がーーずっと引っかかっていた。

「どうしてこのタイミングなんだよ!」

 それなのに、俺はユリアナの婚約を破棄した。

 ゲームと同じように。

「何で、もうちょっと早く思い出せなかったんだ」

 思い出す。

 あの日、庭園で紅茶を飲んでいた時のことだ。

 ユリアナはいつも通り、背筋を伸ばして座っていた。

 完璧な令嬢。隙の無い振る舞い。

 けれど、カップを持つ手だけが、ほんの少し震えていた。

 思い出す。

 婚約破棄を告げたあの瞬間。

 ユリアナは、何も言わなかった。

 ただ、ほんの一瞬だけーー目を伏せた。

 それだけだった。

 怒りも、涙も、なかった。

 ……だからこそ、分からなかった。

(俺は、何を壊したんだ)

「あの、殿下」

 彼女は何かを言いかけて、やめた。

 そのまま、何も言わずに微笑んだ。

 ーーあの時、俺は気づかなかった。

 彼女が何を言おうとしていたのか。

 どうして震えていたのか。

 今なら分かる。

 あれはーー縋《すが》る寸前だったんだ。

 前世の記憶があったら、別の選択肢もあったのではないか。

 違うやり方だって考えられたのかもしれない。

 土下座をしてでも、関係を戻したはず。

 それなのに、俺は王太子として受け止められなかったからという理由で、婚約を破棄した。

 愚かすぎる。

 記憶があれば成功したはずなのに、俺は手放した。

「しかも”君のため”って……何が君のためだよ」

 さっきまで俺は、勝手すぎるって。

 説明をはっきりとしていないし。

 役に立てなかったか? そんな事は無い。

 彼女は力になっていたよ。

 十分すぎるくらいに。

「ユリアナ……」

 確かに俺は弱かった。

 迷っちゃいけないのに迷って、ユリアナにきつく言われて、婚約を破棄させるくらいだから。

 冷たすぎるって。

 確かに部活でも怖い顧問《こもん》の下で動いていたら、帰宅部になりたくなる。

 すぐキレる教師の授業だったら、学校を休みたくなるし、サボりたくなる。

 それに比べたら、ユリアナって優しい方だよな。

 なのに……

 しかも、『いや、何も』って言うのって。

 こっちの落ち度100%だろ。

「どうしよう……これ、謝った方が良いか?」

 恥をかくかもしれないか、もうそれしかないよな。

 謝って、ユリアナ嬢に許してもらって、婚約破棄を無かったことにしたい。

 明日、ルイッツホーフ家へ行こうか。

 土下座して謝ろう。

 それしかない。

 とにかく、頭を下げるしかない。それしか思いつかなかった。

 今の俺は王太子だから。

 許してもらえる可能性が高い。

 そう決めて、俺は眠りについた。

 ああ、眠ったら前世に戻っていないかな。

 それか、朝に戻っているか。

 当然そんな事は無いけれど。

 もちろん、婚約破棄をした後だった。

 そして俺は、ユリアナ嬢に土下座をして大惨敗をしたのだった。

「次もルイッツホーフ家の屋敷で土下座をするか、王宮で土下座をすべきか……」

 でも俺は、二回目の土下座を考えていた。

 ユリアナ嬢に許してもらうため。

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